いつものように空港ヘ行き、搭乗時間を待ち侘びていた。
しかしいつもと違うのは修学旅行の高校生がたくさんいること。
僕が修学旅行に行く年齢の時分にはすっかり『大人』になった自分に惚れ惚れしていたものだが、31歳の視点から見ると高校生はまだまだ『子供』に見える。
もちろん身体つきや考え方も『大人』な人物も潜んでいたであろうし、かくいう僕自身も、さらに人生経験を重ねた先輩方からしてみれば『子供』と言えよう。
今日出会った高校生達は非常に騒がしかった。
中でも、『なぜ私だけが先生に注意されるのか?』というテーマで怒り、ジタンダ踏む女子生徒の様子は群をぬいていた。隣の友人が優しくたしなめるも、彼女の様子は一行に変わる気配がない。隣の友人はというと、普段からの関係が推測できるたしなめ方と言うべきか、入り込みすぎるでもなく、放り出すでもなく、といった扱いだった。
運悪くも僕は彼女達の目の前に座っていた。
……いらいらする。
なぜ彼女の声は大きいのか。なぜ彼女の声は表現力豊かなのか。不機嫌な心情が、口から発せられる一音一音に宿っている。つまりは駄々をこねる子供の、耳障りの悪いあの声だ。
彼女の不機嫌な様子が、僕にとって不快だから不快なのか、彼女の不機嫌な様子を見ているうちに、俗に言う『もらいゲロ』の如く不機嫌な感情がうつったから僕が不快な気持ちになっているのかわからなくなった頃、彼女は更に僕を不快にさせた。言葉だ。
何故若者達は『~じゃね?』、『~なくね?』などと言う喋り方をするのか。しかし不快な点は言葉そのものよりも、彼女と『~じゃね?』な言葉遣いが合ってなかったからだ。『君にはその言葉遣いは似合わないよ。』何度そう言いたかったことか。
テレビの影響力は強い。昔から新しい若者言葉や流行語はせわしなく誕生しては馴染んでいく。
彼、彼女らは、単純にテレビの中の憧れの人達を真似ているだけなのだ。彼等に罪はない。
だからといって、テレビの側に罪がある、と言う気もない。元々『罪』でもなんでもない。たまたまタイミングが悪く僕が不快に思ってしまっただけだ。
これはただ、『影響力が強い!』という事に改めて気付いただけの話し。老若男女を問わず、全てのテレビっこ達になんらかの影響が及んでいる。
自分も誰かに影響を及ぼしているのか…。はたしてどのような…?例えば言葉遣いで何かの影響があるのか?
……………想像もつかない。
気がつくと、彼女は変わらず大きな声で文句を吐き出しながら飛行機へと消えていった。