25年間、何を言っても訂正され続ける関係でした(笑)。
まさか、こんな日が来るとは、、、。
奇跡の共感があった取材後記。その取材の様子は、木曜日までNHKプラスで見ることができます。
すみません、最近出没し過ぎで恐縮なのですが、そのオンエアを見て、胸が熱くなる出来事があったので書かせて下さい。
今回NHKで”いろひろい”を取材頂いた放送の冒頭。過去の映像を使って活動を説明いただいた部分があります。「浜頓別の酪農家小川さんの話」と、「旭川の摂食障害を鹿の命と向き合うことで乗り越えた東海林さんの話」の2つ。
それを見た時、驚きと喜びで胸が熱くなりました。
その理由は、東海林さんはNHKの出演をお断りするだろうと思っていたからです。
NHKから東海林さんに確認の連絡が行くことは知っていました。なので、まさかでした。
東海林さんとは一年以上前から、電話でのやり取りや、お会いしてのやり取りを細かくさせて頂きました。とても繊細なお話だと感じていたからです(無知から生まれる一方的な思い込みも含む)。
その中で、YouTubeの映像として描く事については、一緒に寄り添いながら公開というゴールに辿り着けけたと感じています。その過程で、東海林さんの変化を感じていました。
東海林さんは、20年以上戦ってきた摂食障害について、もともと公表されていました。
その上で、質問を沢山ぶつけさせてもらいました。時には涙を流しながら、感情をぶつけ返して下さいました。そのうち東海林さんが過去を整理し、より、前向きになっていかれていると思うようになりました。
僕は、そんな様子をより多くの方に見ていただく事で、同じ悩みを持つ方に何か届くような気がしました。
そこで、こんな相談を東海林さんにしてみました。
「この取材を企画書にして、テレビ局に出してみるのはどうでしょう?たとえばNHKさんとか、、、。どう思われますか?」と。
もちろん、僕のようなものの企画が通るなんて甘いものじゃないと分かっています。ただ、行動することでしかきっかっけは生まれないと、学んだのもこの企画だったので、可能性がゼロに近いことは分かっていましたが、提案してみました。彼女からはこんな返事が返ってきました。
「母はずっとNHKを見ている人なんです。その母には、摂食障害の事は伝えていないんです。」と。
意外でした。理由を聞かせてくれました。
「母は、障害の事を知っているかもしれないのですが、もしそうだとしても、わざわざ言って気を使わせるのも、、、いい歳だし。食べることが大好きな母だから、知らなかったとしたら、悲しい気持ちにさせるかもしれないし。楽しくやっているのでわざわざ今更知らせなくても。」と。
なので、企画書はやめることにしました。
そして、先日の放送でした。
NHKから東海林さんの姿と摂食障害を乗り越えたという説明が流れてきたのです。
僕は、東海林さんに連絡しました。
「なぜOKしたんですか?」と、
そうすると、
「母が見たら見たでしゃーなし!」
と返ってきたのです。
胸が熱くなりました。
僕が関わらせて頂いた事や、起こしたアクションで、東海林さんが自分をより受け入れ、全てを肯定され強くなっていると感じました。僕は取材の中で、お母さんは必ず知っていて、全てを受け入れ、包み込んでらっしゃるなと感じていました。東海林さんの旦那さんもそのようにおっしゃっていました。なので、いつかそんな話を親子で普通にできたら素敵だな〜とも思っていました。でも、それは東海林さんのお気持ち次第。
オンエアーは、その大きな一歩を見せてもらった瞬間でもあったのです。
そして、僕はこの事を書いてもいいですか?と尋ねました。
「是非、書いて欲しい!」
と返事がありました。
さらに、大きな一歩を感じました。そして、しっかり寄り添えていたのだなという、嬉しさがありました。
実は、放送の裏にこういった物語がありました。
東海林さん、旦那さん、NHKの大楠Dがスタートさせてくれた物語です。
その上で、NHKプラス、取材後記、いろひろい”東海林さん編”もご覧いただきたいなと感じました。
長くなり、失礼いたしました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/010_g1_2023070643199 (NHKプラス)
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nc46ff926d402 (取材後記)
https://youtu.be/eSaodP58kN0 (東海林さんの物語)
浜頓別のクッチャロ湖湖水まつりの帰りの車中で書いています。
4年ぶりの開催。そして、コロナ前は毎年参加させて頂いていたので、僕にとっても4年ぶりの参加。盛り上がりました。みんな楽しそうでした。感慨深いものがありました。
来年も、みんなで夕日と花火を見て、あと片付けが始まる瞬間のエモさを感じたいなと思いました。