とんでもない発明です。
これにより、真の意味で世界が一変しました。
あんなに大きかった地球ってやつが、
手稲区ぐらいの規模に縮小しました。
まあ、それはネットが生まれたときから存在したことで、
Wi-Fiはそれをさらに簡易化させたという意味です。
「ネットによる文化の改革」
文化とは、その土地それぞれのもの。
それは古来から、本来あくまで人の力で、
人の足でたどり着ける範囲のことを言ってきました。
ところがネットは、その「土地」という概念から変えてしまった、
ある意味恐ろしいほどの革命かと。
本当はそこにある距離を、
全くないかのように、半径1メートルの差かのように錯覚させてしまう。
人は、自分たちの暮らしを、
より良く、より快適にするために、発達、発展してきました。
まるでそれが、人間という生き物の本能であるかのように。
そのこと自体に善悪などあるはずがありません。
本能なのですから。
それを否定することは、人間という存在、
ひいては自分の存在そのものを否定することになります。
しかし、
ここまで便利な世の中になってしまうと、
逆に不安にもなります。
特段、自然回帰を提唱するつもりも毛頭ないんですが、
便利になりすぎて、それが生活そのものという範疇ではなく、
倫理や分別という範疇でマイナスに作用しないかという不安です。
なぜなら、自分がそうであるからです。
こうして、この場で何か自分の考えのようなものを、
なんの資格もなしに言えてしまう、ネットという社会。
一昔前は、それができる人間、して良い人間に限られたことでした。
それが今や、私如きがそうしたことを
【してしまえている】
ネットが普及する前から生きている私にとって、
それが今や自分でも当たり前になってきているのを、
自覚してしまっている状況が、ある意味怖いのです。
「広く、自分を発信する」
本来そこには、責任や義務が伴うはずです。
その覚悟があっての行動なのか……?
私は、正直、今更ながらその恐ろしさを痛感してます。
遅いですよね。ごめんなさい。
ではまた明日の朝。