香川県高松公演が終わりました。
会場のサンポートホール高松
カーテンコールで客電がつき、舞台から見上げた光景が、とても綺麗だったなあ。
あたたかい拍手、真にありがとうございました。
東照宮の御朱印集め、
香川では讃岐東照宮と呼ばれる、屋島神社に行きまして。
その脇道にある、四国村という施設にふらりと立ち寄り。
夕方だったからか、人もいなく、静か。
滝のせせらぎが聞こえる森の中に、四国各地から移築された昔々の民家が点在していました。
農家の家。漁師の家。
当時の営みがなんとなくかいま見え。
そこの看板に書かれていた文章が私には素敵に思えたので、ご紹介させていただきますね。
『繕われた足袋
おもとさんの家を訪ねた。
五年振りにもなるだろうか。
ご主人を亡くしてからすでに十五年程になる。たしか、八十歳をいくつか過ぎているはずだ。年齢を思わせぬ若さで、ひっそりと、ひとり暮らしを送っている。
何か軟かいものが良いだろうと、途中で、特に油を抜いてもらった「うなぎ」の出前を頼んだ。
突然訪れた私に、おもとさんはびっくりして、そして相好をくずして迎えてくれた。
おもとさんは、たくさんの足袋の繕いの最中であった。話をしながらも、おもとさんは、セッセと足袋の繕いを止めない。ずい分と繕いを重ねた古い足袋ばかりだ。こんなに繕った足袋では、もう穿けないのではと、私が言うと、おもとさんは、いきなり声を立てて笑い
「オホホ…これはもういくら私でも穿けません。ただ長い間お世話になった足袋ばかりです。使えなくなったからと言って、汚れたまま、破れたままで捨てるのが、申し訳けない様な気がしましてね。こうして繕ってから捨てるのです。」
しばらくして届いた「うなぎ」を、おもとさんと一緒にたべた。
ひさしぶりのご馳走で大変おいしゅうございましたと言ってくれた。
おもとさんは、熱いソバ湯をとき「うなぎ」に付いてきた粉サンショを振り込み、脂の口がさっぱりいたします、と言って出してくれた。湯気の中にサンショの香りが爽やかだった。
日溜りの片隅に、ひっそりと水仙が咲いていた。』
こんな文章を読んだ後に茅葺き屋根の民家を覗き込んだら、
囲炉裏にちょこんと座る、おもとさんが脳裏に浮かびまして。
四国をふるさとにもつ人達が少しうらやましく思えました。
長々とご容赦。
次は高知ですね。
懸命に楽しみます。
ではでは。